「最も速い選手」をどう定義するのか?
「野球界で最も速い選手」とは、そもそもどう定義すべきなのか?
これは、意外にも単純ではない。
ホームランや三振といったカウント型の指標、あるいは長打率やハードヒット率のような割合型の指標と違い、走力の測定には主観が入り込みやすい。
トラッキングデータはより正確だが、「選手が本気で走っている時だけを計測する」ことが重要であり、これが難しい。例えば、三塁走者が二塁打で悠々とホームインする場面のようなジョギングを、意味のあるスピードデータとしてカウントしてしまってはならない。
さらに、野球という競技は長距離走よりも短距離の瞬発力が重視されるため、最高速度に達するまでの加速力が、その最高速度と同じくらい重要な場合もある。
複数の評価方法と異なる答え
スピードを評価する方法は1つではない。
そのため、「最速選手」の答えも1つには定まらないのだ。
ここでは、2025年シーズン6月までのデータをもとに解説する。
1) スプリントスピード (Sprint Speed)
これはStatcastが採用する主要な計測方法で、計測がスタートしたのは2015年。
いわば「最高速度」の指標であり、不要な歩行やジョギングのデータを排除している。
計測対象は「competitive runs(競争的走塁)」――例えば内野ゴロでの一塁到達や、本塁打以外で二塁以上の長打を狙う走塁――といった、全力疾走が求められる場面。その中で最も速い1秒間の動きを抽出し、上位3分の2の平均を算出する。単位はfeet per second (フィート/秒)で、MLB平均は27 ft/sec(約8.23 m/sec)。
この方法は、「全力で走っていたか?」を数値で切り取るという点でやや複雑だが、その難しさこそが精度の高さにつながっている。実際、上位選手の顔ぶれを見ると、この指標が有効であることがわかる。
2025年スプリントスピード上位選手(火曜日時点)
- 30.3 ft/sec(約9.24 m/sec) – Bobby Witt Jr. (ボビー・ウィット・ジュニア) / Kansas City Royals (カンザスシティ・ロイヤルズ)
- 30.3 ft/sec(約9.24 m/sec) – Trea Turner (トレイ・ターナー) / Philadelphia Phillies (フィラデルフィア・フィリーズ)
- 30.2 ft/sec(約9.21 m/sec) – Byron Buxton (バイロン・バクストン) / Minnesota Twins (ミネソタ・ツインズ)
- 30.2 ft/sec(約9.21 m/sec) – Victor Scott II (ビクター・スコット2世) / St. Louis Cardinals (セントルイス・カージナルス)
- 30.1 ft/sec(約9.17 m/sec) – Johan Rojas (ヨハン・ロハス) / Philadelphia Phillies (フィラデルフィア・フィリーズ)
- 29.9 ft/sec(約9.11 m/sec) – Chander Simpson (チャンダー・シンプソン) / Tampa Bay Rays (タンパベイ・レイズ)
- 29.9 ft/sec(約9.11 m/sec) – Brandon Lockridge (ブランドン・ロックリッジ) / San Diego Padres (サンディエゴ・パドレス)
- 29.9 ft/sec(約9.11 m/sec) – Eli White (イーライ・ホワイト) / Atlanta Braves (アトランタ・ブレーブス)
この顔ぶれを見れば、ボビー・ウィット・ジュニア、トレイ・ターナー、バイロン・バクストンが「最速候補」として異論は少ないだろう。
しかもこの順位は基本的に安定しており、2015年以降の通算ランキングでも、この3人が常に上位を占めている。
つまり、2025年ランキングでも通算ランキングでも首位に立つボビー・ウィット・ジュニアこそ「最速」なのか?
――それについては、この先を読み進める必要がある。
2) 一塁到達タイム(Home-to-First time)
スプリントスピード(Sprint Speed)は非常に有効な指標ですが、基本的には最も速い1秒間だけを抽出して計測しています。
一方、打者が一塁へ全力で駆け抜ける際には、通常 4~5秒 程度かかります。この間の情報の多くはスプリントスピードでは活用されていません。
そこで、もっとシンプルに「打球を放った瞬間から一塁到達までが最も速い選手は誰か?」という視点で見るのが、このHome-to-First timeです。高度なモデルよりも直感的で、「一番速い選手」を直接的に測る方法と言えます。
2025年 一塁到達タイム リーダー(2025年シーズン時点)
- 3.95秒 – Chandler Simpson(チャンドラー・シンプソン / Tampa Bay Rays〈タンパベイ・レイズ〉)
- 4.03秒 – David Hamilton(デビッド・ハミルトン / Boston Red Sox〈ボストン・レッドソックス〉)
- 4.06秒 – Jake Mangum(ジェイク・マンガム / Tampa Bay Rays〈タンパベイ・レイズ〉)
- 4.08秒 – Hyeseong Kim(キム・ヒェソン / Los Angeles Dodgers〈ロサンゼルス・ドジャース〉)
- 4.08秒 – Cody Bellinger(コディ・ベリンジャー / New York Yankees〈ニューヨーク・ヤンキース〉)
- 4.11秒 – Corbin Carroll(コービン・キャロル / Arizona Diamondbacks〈アリゾナ・ダイヤモンドバックス〉)
- 4.12秒 – Byron Buxton(バイロン・バクストン / Minnesota Twins〈ミネソタ・ツインズ〉)
- 4.12秒 – Myles Straw(マイルズ・ストロー / Toronto Blue Jays〈トロント・ブルージェイズ〉)
このデータは、純粋な短距離競争能力を反映しており、打球を放った後のスタートの鋭さや加速性能が色濃く出る指標です。
例えば、Chandler Simpson(チャンドラー・シンプソン)の3.95秒という数字は、近年のメジャーリーグでも極めて稀な水準であり、一塁到達スピードの面では他を圧倒しています。

チャンドラー・シンプソン速すぎる!



イチローが何位なのか見つけられなかった!
一塁到達タイムの分析と左打者の優位性
今回のランキングでもChandler Simpson(チャンドラー・シンプソン)とByron Buxton(バイロン・バクストン)の名前が再登場していますが、それ以外はまったく異なる顔ぶれとなっています。
ただし、ここにも重要な要素が存在します。それは打席の左右です。
左打者の物理的優位
ランキング上位のBuxtonとMyles Straw(マイルズ・ストロー)を除けば、他の選手はいずれもフルタイムの左打者、あるいはJake Mangum(ジェイク・マンガム)のようにスイッチヒッターながら左打席で打つ割合が高い選手です。
ご存じの通り、左打者は一塁までの距離が右打者よりも物理的に短く、その分、一塁到達タイムで有利になります。
これはルールや環境による不可避な条件であり、純粋な走力だけでなく打席位置も結果に影響を与えているのです。
実際の評価への影響
このことを踏まえると、「世界で一塁に最も速く到達するのはシンプソン」という事実は揺るぎませんが、純粋な身体能力や走力だけを比較するなら、右打者でこれだけ上位に入るBuxtonの存在は再評価されるべきでしょう。
つまり、一塁到達タイムは「打席位置+走力」の複合的な成果であり、スプリントスピードや盗塁成功率などの他のデータと組み合わせて総合的に判断する必要があります。
3) 90フィート・スプリットによる公平な比較
「一塁到達タイム」では打席の左右が結果に大きく影響しましたが、この問題を解消するために、90フィート・スプリットという測定方法があります。
この指標は、打球がバットに当たった瞬間からではなく、打者が一塁方向への最初の一歩を踏み出した瞬間から計測を開始します。
つまり、スイングを終えてから加速し始めるまでの時間を排除し、全選手を純粋な90フィート(約27.43メートル)走のタイムに換算します。
これにより理屈の上では左打者と右打者の距離差をフラットにし、より公平な比較が可能になるというわけです。
2025年 90フィート・スプリット リーダー(8月時点)
- 3.67秒 – Chandler Simpson(チャンドラー・シンプソン/TB)
- 3.71秒 – Victor Scott II(ビクター・スコット二世/STL)
- 3.72秒 – Corbin Carroll(コービン・キャロル/AZ)
- 3.73秒 – John Rave(ジョン・レイヴ/KC)
- 3.74秒 – Pete Crow-Armstrong(ピート・クロウ=アームストロング/CHC)
- 3.75秒 – DaShawn Keirsey Jr.(デショーン・カーシー・ジュニア/MIN)
ランキングから見える傾向
ここでもチャンドラー・シンプソンとビクター・スコット二世/STLが上位を占めていますが、それ以外は新しい名前が多く並びます。
このことからも、「最速選手は誰か」という問いが簡単に答えられない理由が見えてきます。
さらに興味深いのは、Bobby Witt Jr.(ボビー・ウィット・ジュニア/KC)とByron Buxton(バイロン・バクストン/MIN)が、このランキングでもトップ10の後半に登場している点です。
測定方法を変えても繰り返し上位に顔を出すという事実は、両選手の総合的な走力の高さを強く裏付けています。
4) バースト(Burst)による初動スピードの評価
トップスピードが重要であることは間違いありませんが、全員が同じ速さでそのトップスピードに到達するわけではありません。
ベースボールでは反応速度や加速性能も同様に大きな意味を持ちます。
そこで注目したいのが、ここで紹介する「バースト(Burst)」という指標です。
このバーストは、打者がバッターボックスを離れてから最初の1.5秒間でカバーした距離(フィート)を計測したもの。
この短時間ではトップスピードに到達するのは難しく、「純粋な最高速度」だけでは見えてこない俊敏性や初動の速さを評価できます。
2025年 バースト・リーダー(打席離脱後1.5秒での走行距離)
- 33.4フィート(約10.18メートル) – Chandler Simpson(チャンドラー・シンプソン/TB)
- 32.9フィート(約10.03メートル) – Corbin Carroll(コービン・キャロル/AZ)
- 32.9フィート(約10.03メートル) – John Rave(ジョン・レイヴ/KC)
- 32.8フィート(約10.00メートル) – Victor Scott II(ビクター・スコット二世/STL)
- 32.7フィート(約9.97メートル) – Pete Crow-Armstrong(ピート・クロウ=アームストロング/CHC)
- 32.6フィート(約9.94メートル) – DaShawn Keirsey Jr.(デショーン・カーシー・ジュニア/MIN)
- 32.4フィート(約9.88メートル) – Jacob Melton(ジェイコブ・メルトン/HOU)
- 32.4フィート(約9.88メートル) – Jonatan Clase(ジョナタン・クラセ/TOR)
この指標からバイロン・バクストンの意外な弱点がわかる
驚くべきことに、このバーストに関してはByron Buxton(バイロン・バクストン/MIN)があまり得意ではありません。
先ほど紹介した90フィート・スプリットを5フィートごとの区間でパーセンテージ表示すると、その傾向がより明確に見えます。
- Chandler Simpsonはスタートからフィニッシュまで一貫してエリート級の数値を記録。
- Corbin CarrollやVictor Scott IIもわずかに劣る程度で、非常に高い初動性能を誇ります。
- 一方のBuxtonは、最初の10フィート(約3.05メートル)において平均を大きく下回り、数値的には俊足とは言えない選手たちと同程度です。
しかし、その後エリート級のトップスピードを発揮し、一気に差を詰めるスタイルとなっています。
左打者優位の影響
この指標にも左打者有利のバイアスは存在します。
とはいえ、右打者だけで比較しても、Buxtonのバースト性能は特別高いわけではありません。
彼の真価は「初速」よりも「中盤から終盤の加速」にあると言えるでしょう。


バッターボックスを飛び出してから90フィート(約27.43メートル)に到達する最速選手たちは、その到達方法もそれぞれ異なることがよくわかる。
5) ホームまでの到達タイム
だが、ちょっと待ってほしい。野球は90フィート(約27.43メートル)だけが全てではない。
サッカーのように広いフィールドを常に動き続けるスポーツではないにせよ、必ずしも1つの塁ごとにしか進めないわけではない。
2015年以降の最速ホーム・トゥ・ホーム記録
- 13.85秒 – Byron Buxton(バイロン・バクストン/MIN) 2017年8月18日
- 14.05秒 – Buxton(バクストン) 2016年10月2日
- 14.08秒 – Pete Crow-Armstrong(ピート・クロウ=アームストロング/CHC) 2024年8月23日
- 14.20秒 – Corbin Carroll(コービン・キャロル/AZ) 2023年8月27日
- 14.24秒 – Dee Strange-Gordon(ディー・ストレンジ=ゴードン/MIA) 2015年6月30日
- 14.29秒 – Bobby Witt Jr.(ボビー・ウィットJr./KC) 2023年8月14日
- 14.32秒 – Carroll(キャロル) 2024年8月31日
これらの記録は、2023年のキャロル(キャロル)を除き、すべてランニングホームラン(インサイド・ザ・パークホームラン)によって達成された。キャロルの場合は、三塁打を本塁打に伸ばそうとしたところ、シンシナティの Elly De La Cruz(エリー・デラクルーズ)による時速99.7マイル(約160.5km/h)のレーザービームでアウトになったものだ。(これも一種の“スピード”の形だと言えるだろう。)
もちろん、この指標にも限界はある。打者が一打席で全ての塁を回る機会はそう多くないからだ。
野手の失策や予期せぬバウンド、あるいはインサイド・ザ・パークを狙えるほどの長打力が必要となる。
しかし、バクストンがトップ2記録を持ち、さらにウィットJr.が上位に位置している事実は、この“最速”議論において一つの方向性を示していると言えるかもしれない。
6) ボルト(Bolts)
スピードを測るもう一つの方法として、「どれだけ頻繁にエリートスピードに到達するか」を見るという考え方がある。Statcastの基準では、30フィート/秒(約9.14メートル/秒)に到達することを“エリートスピード”とみなし、これを「ボルト(Bolt)」と呼んでいる。
2015年以降、このボルトを最も多く記録しているのは圧倒的に Trea Turner(トレイ・ターナー/PHI)で、その後にお馴染みの Bobby Witt Jr.(ボビー・ウィットJr./KC)と Byron Buxton(バイロン・バクストン/MIN)が続く。ただし、この数字には出場機会の多さという要素も影響している。そこでより興味深いのは、「競争的走塁(competitive runs)」、つまり全力疾走が求められる場面において、どれだけの割合でこのエリートスピード30フィート/秒に到達しているかという指標だ。
2025年 最高ボルト率(30 ft/sec以上、最低50競争的走塁)
- 57% – Victor Scott II(ビクター・スコットII/STL)
- 48% – Johan Rojas(ヨハン・ロハス/PHI)
- 44% – Trea Turner(トレイ・ターナー/PHI)
- 43% – Bobby Witt Jr.(ボビー・ウィットJr./KC)
- 39% – Chandler Simpson(チャンドラー・シンプソン/TB)
- 38% – Byron Buxton(バイロン・バクストン/MIN)
2025年におけるビクター・スコットIIの数値は、他を大きく引き離す圧倒的なトップだと言える。
そしてこの時点で、スピードの議論においてボビー・ウィットJr.、トレイ・ターナー、チャンドラー・シンプソン、バクストンの名前が含まれない分析は、もはや正しいとは言えないだろう。
7) 選手たちの証言
ここまで見てきた数値は非常に興味深いが、実際にフィールド上でプレーしている選手たちの意見とも一致しているのだろうか。
MLB公式が2025年シーズン序盤、現役選手90人に対し「現役最速の選手は誰か」という質問を行った。
その結果、9人の選手が「リーグ最速」の票を獲得した。
San Diego Padres(サンディエゴ・パドレス)の内野手 Jake Cronenworth(ジェイク・クロネンワース)は、Baseball Savantのスプリントスピードランキングを検索してこう答えた。
「調べればすぐわかる質問だよ。見てみれば Bobby Witt Jr.(ボビー・ウィットJr./KC)だ。僕も最初からそう答えるつもりだった。彼は本当に速い。」
投票結果では Chandler Simpson(チャンドラー・シンプソン/TB)が圧勝し、40票を獲得。
これは Witt Jr. の22票のほぼ倍にあたる。
また興味深いことに、Elly De La Cruz(エリー・デラクルーズ/CIN)は、上記で紹介したいずれの計測方法でも上位に入っていないにもかかわらず17票を獲得した。
その他に名前が挙がったのは Corbin Carroll(コービン・キャロル/AZ)、Byron Buxton(バイロン・バクストン/MIN)、Pete Crow-Armstrong(ピート・クロウ=アームストロング/CHC)、Trea Turner(トレイ・ターナー/PHI)、Fernando Tatis Jr.(フェルナンド・タティスJr./SD)、Hyeseong Kim(キム・ヘソン/LAD)だが、いずれも5票を超えることはなかった。
Toronto Blue Jays(トロント・ブルージェイズ)の内野手 Ernie Clement(アーニー・クレメント)は、シンプソンの“バースト”能力(スタート直後の加速力)がリーグ最高であることを裏付け、「彼はバッターボックスを出る瞬間が違う」とコメント。これは Houston Astros(ヒューストン・アストロズ)の外野手 Jake Meyers(ジェイク・マイヤーズ)が「最初の2歩が他の誰とも違う」と語った意見とも一致しており、実際のデータでも証明されている。
Witt Jr. が多くの支持を集めたのも、これまで見てきた内容を踏まえれば納得できる。一方で Buxton はわずか2票にとどまったが、Kansas City Royals(カンザスシティ・ロイヤルズ)の投手 Daniel Lynch IV(ダニエル・リンチ4世)は「彼がフィールドに立っている時、リーグで最もエリートでダイナミックな選手だ」と正確に評している。
おそらくここには多少の「バイアス」もあるのだろう。シンプソンは注目の新人であり、バクストンは彼より7歳年上、そして10年以上にわたってエリートスピードを維持してきたベテランだ。スピードの計測方法は一つではないかもしれないが、数値と選手たちの証言は、概ね一致している。
スピードを語るなら ボビー・ウィットJrなのかもしれない。いや、シンプソンかもしれない。あるいはターナー、あるいはバクストンかもしれない。
つまり…結論は一つではないのだ。
皆さんが思う最速選手は誰ですか?
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